【Part 1 - ③】大手ソフトウェア企業によるM&Aが失敗しがちな理由とは?
コンヴェクィティ- 本稿Part 1では、大手ソフトウェア企業によるM&Aが失敗しがちな理由に関して詳しく解説していきます。
- ソフトウェア企業の無形資産や会計基準の複雑さにより、収益性やROICの正確な評価が難しく、投資収益率の見積もりが困難になる場合があります。
- SaaS企業は代替指標(ARR、CLVなど)を用いることでサブスクリプション型ビジネスの特性を評価し、顧客維持や長期的収益性を高めるモデルを強調しています。
- M&A成功には、技術的適応力、文化的シナジー、顧客適合性の評価が重要であり、統合戦略や取引構造が株主価値に与える影響を慎重に検討する必要があります。
※「【Part 1 - ②】大手ソフトウェア企業によるM&Aが失敗しがちな理由とは?」の続き
前章では、経営陣に関する問題やバリュエーションサイクルに関して詳しく解説しております。
本稿の内容への理解をより深めるために、是非、インベストリンゴのプラットフォーム上にて、前章も併せてご覧ください。
無形資産と会計上の複雑さ
ソフトウェア企業は、知的財産、ブランド価値、独自のコードなど、多くの無形資産を保有しており、これらの資産を正確に評価するのは難しく、バランスシート上での定量化も困難です。また、従来のGAAP(一般に認められた会計原則)では、S&M(セールス&マーケティング)やR&D(研究開発)といった特定の営業費用の真の経済的価値を反映することができません。たとえば、S&M費用は資産として計上されるのではなく費用として扱われますが、実際には12カ月以上の長期的な利益をもたらすことが多いため、収益性を過小評価した損益計算書が作成される結果になります。
さらに、ソフトウェア企業のバランスシート上に計上される高額な繰延収益が原因で、ROIC(投下資本利益率)の計算が難しくなることもあります。繰延収益が多いと、投下資本がマイナスとなる場合があり、従来のROIC計算が実用的でなくなることがあります。この問題は、一部の費用を資産として計上できないことによってさらに悪化し、収益性を一層歪める結果となります。そのため、買収側が現実的な投資収益率を見積もるのが難しくなるのです。
SaaS企業向け代替指標
SaaS(サービスとしてのソフトウェア)企業の評価では、従来の収益やEBITDAといった指標だけではサブスクリプション型ビジネスの特有のダイナミクスを十分に捉えられないため、投資家は代替指標に頼ることがよくあります。たとえば、年間経常収益(ARR)、顧客生涯価値(CLV)、純収益維持率(NRR)などの指標は、キャッシュフローの予測可能性、顧客のロイヤルティ、アップセルやクロスセルによる成長可能性を評価するために役立ちます。これらの指標は特に、顧客獲得のために大規模な初期投資を必要とするものの、サブスクリプション型の継続収益を通じて長期的なリターンを見込める初期段階や高成長段階のSaaS企業において重要です。
こうした大規模な初期投資の背景には、SaaSと従来のライセンス型ソフトウェアの構造的な違いがあります。IaaS(サービスとしてのインフラ)の普及により参入障壁が大幅に低下し、2007年以降、ソフトウェア企業の数は4倍に増加しました。この激しい競争により、SaaS企業は顧客獲得のためにS&M(セールス&マーケティング)費用を多く費やさざるを得なくなっています。しかし、SaaSモデルには補償的な利点があります。顧客を維持するコストは新規顧客を獲得するコストよりも一般的に低く抑えられるため、長期的な関係を築き、更新コストを抑えることで、最終的には高い初期費用を回収し、古い顧客群から非常に高い収益性を達成することが可能です。
ただし、これらの代替指標は有用である一方で、リスクも伴います。SaaS企業間で標準化が欠けていることや、収益性よりも成長を優先してしまう誘惑が挙げられます。投資家はこれらの指標を慎重に使用し、従来の財務分析を補完するものであり、上回るものではないことを意識する必要があります。
成長予測と技術的陳腐化
ソフトウェア業界における将来の成長を予測することは、技術の進化が非常に速いことから、特に困難です。買収側は、ターゲット企業の現在の市場ポジションを評価するだけでなく、業界の変化に対応し、イノベーションを続けていける能力を見極める必要があります。これにより、ソフトウェアが陳腐化しないようにすることが求められます。
このため、ターゲット企業の技術的リーダーシップや適応力、さらに買収後に主要な人材が組織に残るかどうかを判断する必要があります。また、買収側がターゲット市場について十分な知識を持たない場合には、特にリスクが高まります。買収後にリーダーシップチームが離職し、重要な専門知識が失われるような事態は、大きな打撃をもたらす可能性があります。
文化的・運営的シナジー
買収したソフトウェア企業を効果的に統合するには、文化的な一致が欠かせませんが、M&Aではこの重要性が過小評価されることが少なくありません。成功する買収には、エンジニアリングチームや開発手法、企業文化の相性が重要です。もし両社の開発者やエンジニアが仕事に対する考え方が異なり、うまく協力できない場合、統合が摩擦を生み、イノベーションや生産性を妨げる結果になりかねません。
さらに、シナジーは、買収対象の技術が買収企業の製品と戦略的に一致しているかどうかにも依存します。ミスマッチの例として挙げられるのが、インテル(INTC)によるMcAfeeの買収です。セキュリティソフトウェアがインテルの主要な製品とほとんどシナジーを持たず、統合によって意味のある価値を生み出すことに失敗しました。このような失敗を避けるためにも、買収対象のソフトウェアが自社の技術スタックを本当に補完し強化できるのか、それとも長期的な成長を促進できない中途半端な追加に終わるのかを慎重に評価する必要があります。
顧客適合性とクロスセルの可能性
顧客基盤の理解は、M&Aの成功において欠かせない要素です。買収側の顧客がすでに他社の類似したソリューションを利用している場合、買収した技術のクロスセル(追加販売)は難しくなります。クロスセルの効果は、買収側の顧客が新しいソリューションを採用する可能性に依存するため、買収前に顧客との適合性を慎重に評価することが重要です。これを考慮しないと、実現が難しいシナジーを前提とした過大評価につながるリスクがあります。
実績と統合能力
買収企業の過去のM&A実績は、新たな取引の成功可能性を測る上で貴重な手がかりとなります。類似した買収を成功裏に統合してきた企業は、統合プラットフォームを構築するためのシステムや経験を備えていることが多いです。
顕著な例として挙げられるのが、パロアルトネットワークス(PANW)です。2018年にニケシュ・アローラ氏がCEOに就任した際、同社はクラウドセキュリティ市場への進出を主導しました。この分野でパロアルトネットワークスは自社開発に充てる時間が限られていたため、アローラ氏は大胆な買収戦略を採用し、複数のスタートアップを買収して包括的なクラウドセキュリティプラットフォームを構築しました。
特に重要だったのは、買収した企業の創業者たちに権限を与え、彼らをパロアルトネットワークスのCXOチームの1~2階層下に配置したことです。このアプローチにより、創業者たちはパロアルトネットワークスの中で自社技術の元々のビジョンを追求することができました。技術ロードマップが整備された後、パロアルトネットワークスはセールス&マーケティングの強みを活かし、統合された新技術のクロスセルを可能にしました。また、パロアルトネットワークスのクロスセル成功の背景には、クラウドセキュリティのような「グリーンフィールド領域」(既存の代替ソリューションがほとんどない分野)のスタートアップを買収したことも挙げられます。
一方で、実績が乏しい企業や買収経験が限られている企業は、統合された製品ラインアップを構築するのに苦戦することがあります。その典型例がシスコシステムズ(CSCO)です。シスコシステムズは小規模なスタートアップを成功裏に買収し、自社のグローバルな販売ネットワークを活用して利益を上げることには成功してきましたが、買収後のイノベーションを生み出す機会をしばしば逃してきました。
買収された企業は、製品開発を推進するために必要な自律性を欠くことが多く、その結果、次世代の製品を開発するために外部で活動するトップ人材が退職してしまうことがよくありました。このような傾向は、プロの経営陣によって運営される企業に共通するものです。その結果、市場のリーダーではなく平均的な製品しか生み出せない買収が繰り返されることになります。このような事例は、強いビジョンと効果的な統合戦略の重要性を浮き彫りにしています。
取引構造の考慮事項
取引の構造は、株主価値に大きな影響を及ぼします。たとえば、全株式による取引では、既存の株主価値が希薄化するため、取引を正当化するにはより高いROI(投資収益率)の予測が求められます。一方で、買収が借入に大きく依存する場合、ROIC(投下資本利益率)がWACC(加重平均資本コスト)を大幅に上回らない限り、株主は追加の財務リスクを負うことになります。
取引構造は非常に重要であり、それが買収企業の財務的影響にどのように影響を与えるか、また買収が最終的に株主価値を長期的に増加させるのか、それとも減少させるのかを左右します。
Part 1はこちらで以上となります。
また、続編であるPart 2では、ソフトウェアM&Aにおけるよくある落とし穴について詳しく解説していきますので、こちらも併せてご覧いただければと思います。
さらに、弊社はテクノロジー銘柄に関するレポートを「毎月約10件、年間で約100件」程度執筆しており、弊社のプロフィール上にてフォローをしていただくと、最新のレポートがリリースされる度にリアルタイムでメール経由でお知らせを受け取ることができます。
加えて、その他のアナリストも詳細な分析レポートを日々執筆しており、インベストリンゴのプラットフォーム上では「毎月約100件、年間で1000件以上」のレポートを提供しております。
弊社のテクノロジー銘柄に関する最新レポートを見逃さないために、是非、フォローしていただければと思います!
アナリスト紹介:コンヴェクィティ
📍テクノロジー担当
コンヴェクィティのその他のテクノロジー銘柄のレポートに関心がございましたら、こちらのリンクより、コンヴェクィティのプロフィールページにてご覧いただければと思います。
インベストリンゴでは、弊社のアナリストが「高配当銘柄」から「AIや半導体関連のテクノロジー銘柄」まで、米国株個別企業に関する分析を日々日本語でアップデートしております。さらに、インベストリンゴのレポート上でカバーされている米国、及び、外国企業数は「250銘柄以上」(対象銘柄リストはこちら)となっております。米国株式市場に関心のある方は、是非、弊社プラットフォームより詳細な分析レポートをご覧いただければと思います。