やや強気アップル私が長期債務を抱えるマグニフィセント・セブン(Magnificent 7)の株式を好む理由

- 「マグニフィセント・セブン」のうち、6銘柄(アップル、アマゾン、アルファベット、マイクロソフト、メタ、エヌビディア)は、全て米国債よりも償還期間の長い債券を発行している。
- これらの超長期債は、債券市場が比較的低いリスク・プレミアムで、今後40年間のこれらの企業の存続を保証することを望んでいることを示している。
- 企業が超長期債を発行できるということは、その企業が長期にわたって存続し続ける可能性が高いということであり、品質の証とみなすことができる。
現在のバリュエーションで、私が最も買う気がない7銘柄は、よく言われる「マグニフィセント・セブン」であることに対して、読者の皆様も驚きではないと思う。
現時点では、「マグニフィセント・セブン」は下記の7銘柄を意味している。
これら7社の株価が注目される一方で、私が、今年、債券市場に多くの時間を費やしている間に気づいたことで、もっと言及されるべきだと思うことがある。
それは、現在の30年物米国債(US30Y)は2053年に満期を迎えるが、MSFTの最長の債券は2057年に満期を迎え、AAPL、AMZN、GOOGL、META、そしてNVDAまでもが2060年以降に満期を迎える債券を発行しているという点である。
また、NVDAの債券を含めても、これら6つの超長期債の利回りがすべてUS30Yの約1%ポイント以内であることも注目に値する。
そして、これは、債券市場は、比較的低いリスク・プレミアムで、今後40年間のこれらの企業の存続を保証することを望んでいるということである。
最初は、これは長期債券投資家だけが興味を持つ見解のように思えるかもしれない。
しかし、ここまで読んでいただき、なぜ、私が、これらの超長期債券が、株式だけにしか関心がない場合でも重要だと考えるのか納得していただければ幸いである。
S&P500以外の銘柄に投資するとしても、ほとんどの株式投資家にとって、なぜこの7銘柄が重要なのかは説明するまでもないだろう。
これらの銘柄はS&P500の約4分の1を占め、株式市場のほぼ全体の日々の動きを支配しているからである。
市場は、METAやNVDAが今後40年間倒産することなく存続し続けることを本当に確信しているのだろうか。
それとも、これらの銘柄が現在S&P500をリードしているため、市場の力がこれらの債券を過大評価している(=信用リスクを過小評価している)のだろうか。
言い換えれば、おそらく市場はこれらの債券を40年物米国債の代用品と見なし始めているのだろう。
だから生命保険会社は、「アップル債を買っても誰もクビにならない」という気持ちでこれらの債券を買うことができるのである。
これらの銘柄の超低配当利回りに比べれば、これらの債券は確かに比較的魅力的だと思う。
この考えを、私が自身のポートフォリオにて購入している株式にも応用している理由は、企業が超長期債を発行する能力を質の高さの証と見ているからである。
フレゼニウス(OTCPK:FSNUY)を例にとると、 私は、最近、同社のことを「完璧なミッド・キャップ(中型株)銘柄」かもしれないと言ったが、今日、この企業がいつ社債を発行したかを調べてみた。
- 2020年:2033年満期の利率1.125%の社債を発行
- 2022年:2030年満期の利率2.875%の社債を発行
- 2023年:2030年満期の利率5.125%の社債を発行
今から思えば、彼らは2020年にもっと長期債を発行すべきだったと思う。
というのも、それ以後はもっと高い金利で社債を発行しなければならなかったのに対し、当時は低金利で発行する機会があったからである。
フレゼニウスの場合、この負債そのものが赤信号だとはまだ思わないが、どんな黒字企業でも、その利益が株主と社債権者の間でどのように分配されているかを見る必要がある。
この5.125%の社債は現在103.25ドル前後で取引されており、利回りはほぼ4.5%である。
これは、ドイツの7年物国債の取引利回りを2%ポイントも上回っている。
今のところ、フレゼニウス株の利回りと成長率は、同社の債券よりもはるかに優れていると私は見ている。
これと同じような株式と債券の分析を、何百銘柄とは言わないまでも、何十銘柄でも行うことができる。
しかし、当レポートの主な要点は、ある企業が非常に長い日付の社債を発行している場合、その企業は、そこまで長期の社債を発行していない企業よりも、質が高いと評価されている可能性があるということである。
結局のところ、長期投資が最初に満たすべき条件のひとつは、存在し続けることである。
2033年がフレゼニウス債の最長期間であることは、iPhoneが、人工透析装置よりも長い将来性を持っていることの表れかもしれないが、私はこの点に関しては懐疑的であるのも本音である。